2021年10月19日

どこかにマイル〜新潟 2日目 保存車・廃線跡巡りと、新津鉄道資料館

 ホテルは軽朝食付きなので、腹ごしらえをして出発。
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 燕三条駅前でレンタカーを借りて、新潟空港で返却予定。新幹線の1駅分、結構距離があるので、こういうときは県内乗り捨て無料の大手2社、つまりT社か、N社になる。今回はT社の方だ。
 まずは新潟交通の旧月潟駅へ。燕駅乗り入れが廃止された後の終着駅だった。燕三条からさほど遠くなく、廃線跡にはいまだ架線柱が残っている区間もあるようだ。途中に大きな町がなく、一歩先に廃止された理由も何となくわかる。
 一方月潟駅付近はある程度規模のある集落となっている。月潟図書館をカーナビにセット。そこからはこちらの道案内で。

かぼちゃ電車保存会


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 レンタカーを駐めたところにも、イベント用なのかレールが敷かれていた。元は駅構内であったのだろう。

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 昔にローカル私鉄巡りをしていた私にとっては懐かしい電車だ。これが新潟市内まで20km余りをトコトコと走っていた。

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 この日は車内が公開されていて、入ることもできた。

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 これは電動貨車。モワ51。

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 ラッセル車。雪深い新潟だからか、本格的な除雪車だ。

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 月潟駅の出札窓口。

 旧月潟駅周辺公園として整備され、定期的に公開されているので整備状態は非常に良い。「かぼちゃ電車保存会」の皆様に感謝したい。

 次は、新潟市周辺のもう一つのローカル私鉄、蒲原鉄道の廃線跡と保存車を巡る。

 新潟交通電車線の燕側もそうなんだが、蒲原鉄道の廃線跡も周辺が主に農地であるため、道路の拡幅に使われる他は、建物が建てられたり、改修されて地割が変わることが少なく、地図から容易に廃線跡を推定できる。加茂駅北西側から信越本線を越えて短いトンネルをくぐり、現在の車道に沿って川の対岸を走っていたらしい。自転車やバイクだったら、遺構をみつけることもできるだろう。
 冬鳥越スキーガーデンに向けて左折すると、鉄道沿いとは思えない坂道で、結構な急勾配であったことがわかる。

 冬鳥越スキーガーデン、夏の間はキャンプ場のようだ。綺麗に整備されており、ちょうど芝刈り作業中であった。
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 保存車が3両並んでいる。ここがちょうど廃線跡なのだろう。

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 極めて珍しい、木造の電車。車体以外は復元らしいけど。

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 何と、車内に入れるんだな...

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 もちろんもう1両の電車の方にも入れる。こちらは半鋼製車。Wikipediaによると両車とも文化財に指定されているらしい。

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 村松駅跡から移転してきた電気機関車。雪国の鉄道には除雪用の機関車が在籍している場合が多い。

 蒲原鉄道は、この先の峠をトンネルで越えて、村松の方に下っていた。いまでも農道として残っている部分が多いようだ。やがて車道と廃線跡が重なるようになり、村松郷土資料館に到着。
 駐車場に駐めて、まず資料館を見学。2階に蒲原鉄道の資料が展示されており、歴史を知ることができる。

五泉市村松郷土資料館

 次に資料館北側の保存車へ。
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 こちらは車内には入れない。屋根付きだが、まめな整備は行われていない模様。
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 この後、村松市街地内は道が狭くて廃線跡を追いにくくなる。
 村松バスターミナル(旧村松駅)から五泉駅は蒲原鉄道が道路沿いを走っており、運転しながらでも昔の線路を偲ぶことができた。

 五泉市街を通過して、五泉市総合会館へ。
 駐車場の入口に、蒲原鉄道モハ41が保存されている。
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 ここも中には入れない。

 私が蒲原鉄道に乗ったときも、このような全面2枚窓の車両だったと思う。車長が短いモハ31だったかもしれない。五泉駅への帰りは、国鉄キハ04の成れの果て、クハ10だった。幼稚園バスのような異常に狭いクロスシートだったのを覚えている。

 蒲原鉄道の名残はここまで。次は新津鉄道資料館へ。

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 元々、国鉄の研修施設「新潟鉄道学園」だったそうだが、現在は同資料館と地域の公民館的施設になっているようだ。

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 昔懐かしい切符の自販機。

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 鉄道系施設にはおなじみの鉄道模型。

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 上野〜新潟を結んでいた、特急「とき」のエンブレムとトレインマーク。

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 その「とき」に使われた車両の車番。

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 大正時代から、国鉄最後の定期SL運転まで務めた9600型の前照灯と煙室扉。

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 2両しか製造されなかったDD20の車番。

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 蒲原鉄道や新潟交通の資料もある。

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 建物裏には廃止された国鉄赤谷線の駅名標や鉄道施設等の展示。あまりここまで見に来る人はいない。
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 入口横のC57と新幹線200系。

 他の保存車は奥の方にある。
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 北陸本線や羽越本線を走った485系特急電車。

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 DD14ロータリー式除雪ディーゼル機関車。
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 DD13という古い入換用機関車がベースなのだが、稼働が少ないことと、後釜のDD53が強力(投雪で民家の窓ガラスを破損)すぎて使いにくかったらしく、まだJRに1両残っているらしい。

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 いよいよ数を減らしてきた、国鉄型115系電車。

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 新幹線E4系MAX。昨日新潟駅でも見かけた。その後引退済み。

 見学を終えて、次は新潟県立自然科学館へ。磐越道で市街地を避けることができたので、短時間で到着。
 さすがに夏休みで企画展もあり、駐車場は奥に行かないと空いてなかった。館内は撮影禁止で写真なし。

 裏には屋外展示があり、
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 こちらは9600型蒸気機関車がまるまる1台保存されている。

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 日本の鉄道初期の頃か、2軸の木造客車。

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 南極探検用の車両ではなかったかと思う。

 このあと道の駅「にいがたふるさと村」で買い物、昼食。
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 観光地らしいところには行っていないのだが、予定メニューは終了。いつも父子旅はこんなもんだ。
 昨日、空港から新潟駅までのバスから廃線跡が見えたので、空港へ行くついてに寄ってみる。
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 ここはまだ現役の貨物駅らしい。
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 もう少し先の工場まで線路が伸びている。

 工場群を大回りして、空港バスの走る大通りあたりまで行くと、線路は残るもののすでに廃線となっているようだった。
 海の近くまで行くと、線路が新しい湾口のトンネル道路のところで途切れていた。

 給油して少し早めだがレンタカーを返却。新潟空港の展望デッキで過ごす。有料(100円)なのに、酔狂なマニアしか来ないのでは?と思ったら意外に人が多かった。みなさん結構飛行機好きなのね。
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 JALはエンブラエル170、ANAはB737とQ400がやってくる。

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 1本前の伊丹便。

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 ANA便。

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 陽が傾いた西の空へ飛んで行った。

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 西の空に見えた「幻日」。この日は晴れたり、時々にわか雨が降ったりと、安定しない天気だった。
posted by malay at 01:34| Comment(0) | 鉄道廃線跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月05日

網干総合車両所一般公開&北沢産業網干鉄道跡散策

 11月3日祝日。旧宅の撤収がほぼ完了したので、久しぶりの「休み」に子どもを連れて出かけることにした。
 休みだということが確定したのが直前なので、「鉄」関係で調べてみると、京阪電車錦織車庫とJR網干車両所の公開があるようだ。前者の方が内容的にはバラエティに富んでいるように思えたが、路面電車レベルの石山・坂本線の車庫で大きくなさそうだし、何より後者の網干には「おいらん車」こと限界測定車のオヤ31が来るらしい。珍車好きの息子ならこちらに違いない、ということでちょっと遠いが網干に決定。
 網干駅から送迎バス、開場10時ということなので、少し早めに網干駅に到着。駅から5分以上は歩いて空き地のバス乗降所へ。ここからバス、立ち席でも可なら待たずに乗れた。
 網干車両所の西門に到着。そこに式典の人だかりと長蛇の列!最後尾に並ぶ...しかしどうも列の向こうに向かう人たち。結局列の順に入場ではなく、開場時間になれば各パートで開始のよう。221系のガイドツアーは即完売。子供向けのヘッドマーク作りに参加し、クレパスで塗った物をラミネート加工してもらい、記念写真。
 その後、小さな移動機が223系を動かしている様子を見て、
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マイテやオヤ31、DD51を(外観のみ)見学。
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車庫内へ。工場の「2階」に向かうのだが、4〜5階くらいの高さで、結構怖いくらい。しかし独特な視点でこれが意外と網干ならではのものかもしれない。
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 「2階」ではペーパークラフトに挑戦。「3D」のは難しく、最後の方は父の組み立てだったが、まあよく頑張ったな。もう小学校3年生だし。

 再び工場の地上に戻り、打音検査の体験など。他はよその車庫公開でも同じような中身なので、北沢産業網干鉄道の廃線跡に行くことにする。まず送迎バスで網干駅に戻る。来た時は対向も難しい道だと思ってたが、帰りはやはり遠回りで時間がかかる。駅の近くにはバスと多数の客を留めておく場所が無いので、再び駅徒歩5分の空き地に到着。

 網干駅を通って南側の広場に出ると、北沢産業の駐車場に、網干鉄道で使われていたDBが見つかった。金網でよく見えないので、ちょっと引いた場所から撮影。
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 貨物専業の鉄道の、それも貨車移動機のような小さなDBが保存されているということは、この会社は鉄道に関してよほど思い入れがあるのだろう。

 線路沿いを西へと向かうが、JRの線路付け替え跡か網干鉄道の跡なのかはっきりしない。高架をくぐったところからレールが残っていた。不法投棄を戒める看板が立てられているが、線路歩き自体を禁止する文言は無く、マナーさえ良ければ黙認という状態のようだ。
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 レールはあまり荒れることもなくそのまま残されていて、廃止でなく休止だと言われても通じる感じ。実際軌道自転車を持って来ればすぐにでも観光鉄道になりそうだ。ただ、枕木間が軽便か?いやそれ以上に開いていて、本格的な重い車両は無理だろう。踏切もあまり無いし足こぎトロッコなら商売になりそうな気がするんだが。

 しばらくすると住宅敷地になってしまい、線路は途切れている。ただ、子どもはよく見ていて、この住宅群では枕木を流用している家があり、また住宅の先では駐車場になっているのだが、その周辺では廃レールを水路に渡して廃貨車や物置を載せている。廃線跡はレールをスクラップに出してしまうところが多いのだが、ここは放置か流用か、とにかく探せばいろいろ出てきそうだ。
 駐車場部分を迂回すれば、再び線路が残されている。
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 路盤に幅があるので、貨物駅か信号所の跡だと思う。ポイントは残っていないので、廃止時には通過していたのだろう。その先は店舗、住宅。鉄道の盛り土を利用して嵩上げした土地に建てられている。
 やがて揖保川を渡る橋の箇所に来る。橋台などは残されていないが、盛り土の堤防に一部コンクリブロックで覆われている箇所があるので、ここに鉄道橋の施設があったのだろう。
 近くの橋を渡り、鉄道橋のあった箇所の対岸へ。どうも堤防自体が手を入れられているようで、鉄道跡の盛り土との間にV字の谷間がある。さほど急な角度では無いので、堤防を降り、雑草の藪を登り、鉄道の路盤へ。ここにもレールが残されている。
 ただ、ここで足元にはびこる雑草はトゲのあるひっつき虫(センダングサ属のようだ)で、煩わしいだけでなく刺さって痛い。なるべて避けて歩く。
 しばらく下り勾配を行くと、平地になり畑の傍を行くようになる。
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 何か昭和の風景という感じがする。

 やがて住宅敷地となり、国道250線をくぐる橋までは痕跡らしきものを伺えたが、この後は「廃線らしい」構造物はないようなので、山陽網干駅へと向かう。約1.5km。バス停はあるが本数も少なく、歩いた方が早い。駅の待ち時間にコンビニでアイスを買い、網干線の車内で子どもと食べた。
 工業地帯の横を走る山陽網干線、単線で「私鉄らしい」感じのする路線だ。飾磨駅も乗り換え重視の構造、急カーブ、端が異常に狭いホームと旧国鉄・JRではあり得ない構造。国鉄播但線支線の「飾磨港線」跡、姫路モノレール跡を見ながら姫路より帰宅。

 久しぶりの廃線跡歩きだけど、レールが残っていて子どもには楽しかっただろう。線路跡を柵で閉鎖せず、草刈りをしていただいている北沢産業の方に感謝を申し上げたい。
posted by malay at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道廃線跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする